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「世界の不条理をビジネスで解決したい」。大きな影響力を与えられる経営者を目指して。
私は学生時代、バックパッカーとして世界を旅していました。その経験の中で感じたのは、地域の経済状況によって、能力があるにも関わらず十分な収入を得られない人々がいるという現実。「このアンフェアな状況を変えたい、それぞれの人が実力に見合った正当な対価を受け取れる世界をつくりたい」。いくつもの旅を経てそんな想いを抱くようになりました。NPOやボランティア団体にも興味はありましたが、目指したのは、事業の規模や継続性を規定する資金の生み出し方を含めてビジネス全体をハンドリングできる経営者への道。ビジネスの力で世界を変えたいと考えたのです。
ミスミの選考中、印象的だったのは当時社長だった三枝の言葉。「真に経営リーダーを志している人材を求めている」と語っており、これだけ経営リーダーの育成にこだわる会社であれば、間違いなく自らのありたい姿に到達できると確信し、入社を決意しました。 -
リスクと責任を一身に背負うことで、新卒として最年少で事業部長へ。
入社当初から「最も小さな事業部で働かせて欲しい」と会社に伝えていました。まだ確固たる基盤が完成していない環境に身を置くことで、自分で基盤を構築していく過程を経験すれば、大きく成長できると考えたからです。
その願いが通じ、2年目で赤字事業の再建を一人で任されることに。自分の判断が事業の浮沈を左右する緊張感は相当なものでしたが、1ヶ月の半分以上は取引先に出向くなどすべての出来事を自分事として捉え、思考と行動を反復。無事、黒字化に成功しました。6年目からはマネジャー代理として、中国の現地法人に駐在。人を育成しながら事業を構築・発展させる新たなステージに挑戦しました。意志決定のレベルも一気に上がりましたが、アカデミックな書籍を読み漁り、その内容を現場で実践することで知識を血肉へと変えていく日々。ビジネスのつくり手としての経験と成長を重ね、7年目にマネジャー(現在の呼称はリーダー)、9年目にはディレクターに昇格、12年目の今年、新卒として最年少で事業部長に昇格しました。 -
最大の失敗。そのとき見えたのは、会社の度量の大きさだった。
実は、中国への異動直前に最大の失敗を経験しています。その当時、私は従来ならば実績豊富なベテラン社員が担当する商品カタログ制作のリーダーに抜擢されていました。大きな仕事を任され、充実感に満ちた日々を過ごしている最中、発刊された商品カタログに掲載した電話番号が誤っていたことが発覚。既に使用されている一般の番号を掲載してしまったのです。「最後に確認を怠ったことで、全てを台無しにした」……とてつもない責任を感じ、落胆しました。
しかし、その時、私を救ってくれたのはミスミという会社の度量の大きさでした。重役と直属上司が謝罪のため、誤って電話番号を掲載した先を訪問し、電話番号を買い取るというかたちで私を守ってくれたのです。また、これだけの大失敗を犯したにも関わらず、その直後に与えられたのが中国の現地法人のマネジャー代理という、より責任の大きなポジション。「失敗を糧にしろ」。まるで経営陣からそう言われているように感じ、奮い立ちましたね。 -
成長のチャンス、広いビジネスフィールド……ミスミは強力な「パートナー」。
私は、会社と自分はWin-Winな関係のビジネスパートナーだと考えています。大切なのは、自分の理想像を実現するために何が最適かという視点。ミスミには多くの成長できるチャンスや、世界に広がるビジネスフィールドが用意されており、自分の理想を叶えるには最適な「パートナー」だと確信しています。自ら会社を興して0から1を生み出す手段もありますが、既にあるミスミの経営資源を活かし1を10にすることで、広く社会へインパクトを生み出す手法もあると思っています。もし社内で獲得できない能力があれば、社外の講座などで補完。担当する仕事では左脳をよく使うので、私は右脳を鍛えるためのアプローチとして外部講座を受講したりしています。
今の私の目標は、担当している事業を強い事業に仕立て上げ、現地法人に自ら経営者として出向きグローバルに価値提供を行うこと。その過程で自分の志である「フェアな挑戦機会の創出」を、インパクトのあるかたちで広げたいと思っています。
※この記事は2018年3月時点のものです。
社員インタビュー 事業開発
- 職種
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:事業開発(VONA)
- 氏名
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:Y・Kさん
- 入社年度
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:2006年度
- 出身学部
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:経済学部 卒
